【イラストで覚える歴史】キリスト教布教! ザビエルって何をした人?
メイン
テーマ

1549年、鹿児島にやって来たフランシスコ=ザビエルが、日本に初めてキリスト教を伝えました。このザビエルとはそもそも何者なのでしょうか? そのザビエルの布教活動は順調だったのでしょうか? ザビエルについて、ちょっと詳しくなりましょう。
この記事をまとめると
- ザビエルの髪型が気になる!
- キリスト教の聖職者にはいろいろなルールがあった
- 日本にキリスト教が広まったのはザビエルの影響が大きかった
フランシスコ=ザビエルの頭頂部が気になる
1549年、鹿児島にフランシスコ=ザビエルがやって来ました。ザビエルは熱心に布教活動を行い、日本にキリスト教を広めました。以後よく(1549)広まるキリスト教!!
フランシスコ=ザビエルの肖像画は教科書や資料集に必ず載っています。それを見た皆さんは、ザビエルの頭を見てクスッとしませんでしたか?
――えっ? 河童?
そう、ザビエルの頭頂部には髪がありません。まるで河童のお皿のようです。なぜでしょうか?
ザビエルの頭の謎を解き明かすには、ザビエルがそもそも何者なのか? を知る必要があります。
イエズス会の宣教師って何者?
ザビエルは、「イエズス会の宣教師」と紹介されるスペイン人です。
「宣教師」とは、外国にキリスト教を広めるために教会が派遣した聖職者のこと。通称「バテレン」といいます。「イエズス会」は、カトリック系キリスト教の修道会です。カトリックは、ローマ教皇をトップとします。その教皇に認められた信者の集団が修道会です。
昔、カトリックの聖職者は「トンスラ」という髪型をしていました。トンスラとは、頭頂部の髪を剃った状態のこと。だから、ザビエルの頭頂部も河童みたいなんですね!
ただ、イエズス会にはトンスラがなかったといわれます。ザビエル髪の毛フサフサ説浮上!?(笑)
BL大好きの戦国大名と大ゲンカ
鹿児島にやって来たザビエルは、薩摩の戦国武将・島津貴久(しまづたかひさ)に許可をもらって布教しました。その後、京を目指して本州に入ります。が、布教の旅は順調ではありませんでした。
中でも衝撃的だったのは、周防の戦国大名・大内義隆(おおうちよしたか)との大ゲンカ!
大内義隆はBL(ボーイズラブ=男同士の恋愛)大好き。一方、当時のキリスト教では同性愛は禁止。「男同士でイチャイチャしちゃダメですよ」とザビエルが言ったため、大内義隆はブチ切れ。ザビエルは周防を出ていくはめに……。
しかし、ザビエルは諦めずに、翌年、大内義隆と再謁見します。ザビエルは、こぎれいな格好をしてお土産まで持っていって、何とか大内義隆のご機嫌取りに成功。布教活動を許可してもらいました。ザビエルさん、営業の鑑ですね!!(笑)
苦難を乗り越えながら布教を頑張ったザビエル。そのかいもあって、日本ではキリスト教が広がっていったのでした!
※歴史の解釈には諸説あります