「妖怪のせい」じゃない!? おばけの正体を暴こうとした妖怪博士がいた!

かつて日本には、「妖怪博士」として呼ばれた哲学者がいました。その人物をとりまく、妖怪を巡る議論を紹介します。
この記事をまとめると
- 妖怪も迷信も否定しているうちに、「妖怪博士」と呼ばれてしまった人がいた
- 日本人の近代化を邪魔する存在を否定して著した『妖怪学講義』
- 西洋的な思想や自然科学と結びつき、物事の考え方を学ぶのが「哲学」
妖怪たちの存在を否定しつつも妖怪博士と呼ばれた人物がいた
惜しまれつつ2015年11月に亡くなった漫画家の水木しげるさん。彼の代表作といえば、言わずと知れた『ゲゲゲの鬼太郎』です。この漫画で活躍するのは、古くから日本各地で言い伝えられてきた妖怪たちです。
実際に妖怪がいるのかどうかはさておき、『鬼太郎』が生まれるよりもさらに昔、哲学者という立場から妖怪の存在を否定しながらも、結果的に「妖怪博士」として知られるようになってしまった人物がいるのはご存じでしょうか。
その哲学者の名前は、「井上円了」。円了は1858年に新潟県に生まれ、後に東京大学で哲学を学びました。当時の日本は文明開化の時代であり、教養の基礎になる哲学を広めていくことで日本を近代化へ導いていこうと、東洋大学の前身となる「哲学館」を創設。講演を通じて民衆へ哲学の手ほどきを行いました。
否定が目的だった妖怪の研究で、有名になってしまった
そんな中、明治20年ころの日本で巻き起こっていたのが、ご存じ「こっくりさん」の流行でした。みんなで文字が書かれた紙にコインを置いて、コインが動く様子を楽しむ遊びです。
哲学と一緒に心理学を学んだ円了にとって、こっくりさんの流行は、まさに人間の心理を利用したまがい物、子ども騙しだと思ったに違いありません。こっくりさんが流行ることや、いまだに信じられている迷信や妖怪の存在が、日本人の近代化を妨げているのだと円了は考えました。そして、江戸時代までの迷信や言い伝えを否定、「妖怪などいない!」と民衆を正しい方向へ導いていこうとしたのです。
円了は、古代から江戸時代までの文献を調べ、全国各地の妖怪も調査しました。哲学、医学、物理などさまざまな知識を駆使して、まさに妖怪ハンターのごとく、その謎を解明し、その研究の成果を著したのが『妖怪学講義』です。『妖怪学講義』は多くの人々の関心を集めたのですが、妖怪を否定し批判していたはずの円了は、その研究内容から、いつの間にか「妖怪博士」と呼ばれるようになってしまいました。なんとも皮肉な話です。
円了が妖怪を否定した理由を時代背景から理解しよう
こうした円了の活動を支えたのが、彼の専門分野でもあった「哲学」です。哲学は、人間が生きていく上で必要なものや私たちの周りにあるもの、時には「人間とは何か」を考える学問です。
哲学者として、人々に正しい「ものの見方」と「考え方」を広めたい円了にとって、ほとんど迷信であり、人々の地に足の着いた考え方を奪ってしまう妖怪の存在は、立場的にも認められないもので、日本が近代化していく中で、各地に根付く非科学的な存在は否定しなければならないものでした。哲学に関心のある人は、円了が妖怪を否定した時代背景を知った上で、その考えを学んでみるとより理解が深まるのではないでしょうか。
この記事のテーマ
「文学・歴史・地理」を解説
文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。
この記事で取り上げた
「哲学」
はこんな学問です
哲学は、古代ギリシア時代には学問全般を指していたが、近代に入って学問が専門分化していくなかで、あらゆる学問の基礎となる学問、世界や人生の根本となっている原理を探究する学問として位置付けられるようになった。また、哲学という学問には、もう一つの領域がある。それはヒンドゥー教・仏教の思想から生まれたインド哲学、儒教・道教などの思想から成り立つ中国哲学のように、アジアの世界観や人生観・自然観から育まれた東洋哲学である。
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