その量は5万ページ以上! 論文をまとめきれないほどの天才数学者がいた!

18世紀のある数学者は、膨大な量の論文を残しており、現在でも全集がまだ完結していないのだとか。彼の生涯や業績、仕事量にまつわるエピソードをご紹介します。
この記事をまとめると
- 18世紀の天才数学者と呼ばれるレオンハルト・オイラーという人がいる
- オイラーは生前、約560もの論文や著書を書いた
- 私たちが勉強する数学の基礎を築いたのもオイラーだった
数独が生まれたのは、オイラーが考えたラテン方陣のおかげ?
みなさんは、スマートフォンのアプリなどで「数独」というゲームをやったことはありますか? なんでも若い人から年配の方まで、どっぷりハマってしまうという人がたくさんいるそうですが、実はこの数独というゲーム、数学者の「レオンハルト・オイラー」という人が考えた「ラテン方陣」がもとになっていることは、あまり知られていないかもしれません。
では、寺尾聰さんと深津絵里さんが主演した『博士の愛した数式』という映画は見たことがあるでしょうか? その中にもオイラーが発見した「オイラーの等式」が出てきます。仲たがいしてしまった登場人物たちが、あまりにも美しいオイラーの等式を見たことでお互いの気持ちを分かり合う、というシーンはとても感動的でした。
こうして現代でも「美しい数学」を考えた人として語り継がれるレオンハルト・オイラー。しかし彼は、一体どんな人だったのでしょうか? もしかすると、彼のことを知れば、嫌われがちな数学でも、ちょっとだけ好きになるかもしれません。
両目の視力を失っても計算をやめなかったオイラー
スイスで生まれたレオンハルト・オイラーは、「天才」とも呼ばれている、数学の世界ではとても有名な人です。18世紀最大で最高の数学者とも言われています。
牧師である父から数学の教えを受けていたオイラーは、はじめは自分も牧師になることを目指していましたが、大学に入学してヨハン・ベルヌーイという数学者の講義を聞いたことをきっかけに数学者になることを決意します。はじめて論文を書いたのは18歳のとき。そして20歳のときにはパリの科学アカデミーの懸賞問題で入賞しています。その後、オイラーはロシアへわたり、本格的に数学の研究をはじめます。
オイラーは28歳に重い病気にかかり、右目の視力を失ってしまいます。そこからさらに後、64歳になるとついに残っていた左目の視力も失い、全盲になってしまいます。しかし、オイラーは「気が散らなくなった」とさらに精力的に数学の研究を続け、76歳で亡くなるときまで論文や著書を書き続けたのです。彼が亡くなったときには、「オイラーは計算をすることをやめた」といわれたほど、数学漬けの人生だったそうです。
今も出版され続けているオイラー全集
オイラーが生きている間に書いた論文や著書は、約560もあると言われています。1911年には5万ページを超える『オイラー全集』が出版されはじめましたが、70巻を超え、100年以上たった今でも出版され続けています。
天才数学者というととても遠い存在のように感じますが、高校で習う関数ももともとはオイラーが見つけた数式です。それ以外にも三角関数や「Σ(シグマ)」も、オイラーが生みだしたもの。学年によっては、オイラーの多面体定理やオイラーの公式を学んでいる人もいるのではないでしょうか。
数学にあまり興味がなく、教わった公式を頭に詰め込んでいるうちは「数学なんて何が面白いんだろう」と思うかもしれません。しかし、数学の知識が増えれば増えるほど、オイラーの数式がとても美しいことがようやく分かってきます。「勉強しなくてはいけない」と考えず、「美しい論理や数式とはどんなものなのか知りたい」と思って勉強すると、数学がとても面白い学問に思えてくるかもしれませんよ。
この記事のテーマ
「数学・物理・化学」を解説
私たちの生活基盤である自然界で生じるさまざまな事象や物質、それらが織りなす理論が研究対象です。宇宙や生物がどのようにして誕生し、どのような構造になっているのかという、究極的な知的探究心は人類ならでは。森羅万象の構造や性質、法則と変化を探求する物理や化学、その習得に必要な数学というように、これらの学問は互いに深く関連しています。未知の領域への研究を進めながら、さまざまな原理解明をしていく分野です。
この記事で取り上げた
「数学」
はこんな学問です
高校で学ぶ数学をさらに深く追究したり、異なる視点から考えたりする学問。主要な分野としては、方程式で数の関係の成り立ちを表す「代数学」、図形などの性質を研究する「幾何学」、微積分に代表される「解析学」がある。また、これらとは違う視点で、数学を活用してさまざまな現象を数理モデルで表そうとする「応用数学」もある。コンピュータ技術との関わりも深いため、ますます重要性が増している分野である。