幕末に浸りたい人限定! 新撰組オタクが教える修学旅行で訪れたい京都の名所

  • ようこそ、ゲストさん
  • ログイン
  • メンバー登録(無料)
  • エリア設定
  • 保護者・先生の方へ
MENU
閉じる
  • ようこそ、ゲスト さん

    メンバー登録(無料)

  • 適学・適職診断無料!

    診断を受ける

  • エリア設定

現在4校がカートに入っています。

一度に最大30校までまとめて資料請求することができます。

閉じる

「マイナビ進学」サイトが別タブでが開きます。

幕末に浸りたい人限定! 新撰組オタクが教える修学旅行で訪れたい京都の名所

2015.10.01

提供元:マイナビ進学編集部

メイン
テーマ

幕末に浸りたい人限定! 新撰組オタクが教える修学旅行で訪れたい京都の名所

金閣寺、銀閣寺、清水寺などなど、京都には観光名所が盛りだくさん。行く場所を厳選しなければ、修学旅行といえど、とてもすべての場所に行くことはできません。
そんな中で、実は京都には幕末の史跡・名所も数多くあることが特徴です。新撰組や坂本龍馬など、興味がある人も多いのではないでしょうか。歴史の背景を知れば、京都観光がより面白くなります。今回は新撰組にゆかりの地、中でも新撰組総長・山南敬助にスポットライトを当てて、新撰組オタクに聞いたおすすめの名所をご紹介します。

この記事をまとめると

  • 新撰組総長・山南敬助について、人物像や切腹にまつわるエピソードが分かる
  • 新撰組ファンにおすすめの史跡が分かる
  • 山南敬助の生涯と京都に残る史跡についてまとめてみた

そもそも山南敬助って何者?新撰組総長の魅力を紹介

山南敬助は、新撰組において近藤勇、土方歳三に次ぐナンバー3の位置にいたとされる人物です。場合によっては近藤次ぐナンバー2だったという人もおり、新撰組・総長の地位に就いていました。相当なインテリであることに加えて、剣の腕も抜群。加えて、隊士たちの面倒見も良い優しい気立てで、豪傑な面もあるという魅力的な人物で、隊士のみならず壬生の人々からも慕われていたと言われています。

そんな山南敬助ですが、最後は悲劇的な死を遂げています。「脱走=切腹」という鉄の掟が存在した新撰組。それを知りながら、1865年2月、山南は自らの意志で新撰組を脱走します。脱走理由は諸説あり、大阪の岩城升屋事件で重傷を負っていた、近藤・土方らと意見の食い違いがあった、重病だったなどと言われていますが、真相はわかりません。ただ、置手紙をして逃げた、追ってきた沖田総司に自分から声をかけた、逃がそうとする永倉新八たちの手引きを断ったなどのエピソードもあり、死を覚悟していたのではないかと考えられています。

新撰組関連でここは外せない! 壬生寺と2つの屯所

新撰組ファンなら一番に訪れたい場所といっても過言ではないのが、壬生寺。近藤勇の像があることで知られており、隊士たちが境内で剣の練習をした場所です。この壬生寺から歩いてすぐのところに、新撰組の屯所となった2軒の邸宅が並んでいます。最初の屯所として新撰組発祥の地となったのが八木家。こちらは、内部を見学することが可能です。

そして、山南敬助が切腹した部屋が残っているのが、旧前川邸。山南切腹の介錯人は、本人の希望で、沖田総司が行いました。山南の葬式には、壬生の人々が大勢参列したという話もあります。現在は邸内を見学することはできませんが、土・日・祝日のみ行われる新撰組グッズ販売は邸内の土間で行われるため、少しだけ中に入れるので狙い目です。

山南ファンなら光縁寺と角屋も行ってみて!

旧前川邸から徒歩2~3分のところに、光縁寺があります。この寺の門前には新撰組の馬屋があったとされ、山南敬助を含め、隊士がよく行き来していた場所でした。また、山南家の家紋と寺紋が一緒だったという縁があり、親交がありました。山南が切腹した後は、この寺に埋葬され、現在でも墓が残っています。

光縁寺からJR嵯峨線で丹波口駅に向かって移動すれば、江戸時代に花街として栄えた島原の名残を見ることができます。現在も残る唯一の揚屋として公開されている、「角屋もてなしの文化美術館」。ここは、かつて山南敬助が恋人と逢瀬を重ねた場所でした。新撰組隊士が足しげく通っていた角屋ですが、山南はここで働いていた遊女・明里と恋人関係にあったと言われています。ほかにも芹沢鴨が最後に宴会をした部屋なども残っているので、ぜひ訪れてみてください。

幕末の京都について、興味を持ってもらえたでしょうか。歴史は単純な過去の出来事というだけでなく、現代にも通じる示唆に富んでいます。歴史や歴史上の人物に興味がある場合は、大学の史学科などでも学ぶことを考えてみるとよいでしょう。
また、京都は観光地として優れた場所でもあります。観光学に興味がある人は、京都がどのような街作りを行ってきたか、行っているかに着目してみると、面白いですよ!

この記事のテーマ
文学・歴史・地理」を解説

文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。

「文学・歴史・地理」について詳しく見る

この記事で取り上げた
「歴史学」
はこんな学問です

歴史学とは、対象とする大陸・国・地域などにおいて、過去に起こった物事を取り上げ、当時それがどのような意味を持っていたのかを、残された物や建造物、文章などから研究する学問である。ただ、資料を正確に読み取るだけではなく、事実かどうかを疑い、踏み込んで検証する批判的視点も重要である。歴史学の基本的なラインナップには、日本史、東洋史、西洋史、考古学がある。また、政治制度・経済活動・芸術文化・信仰宗教などに特化した考察も行う。

「歴史学」について詳しく見る