「プロフェッショナル」を学ぶ4年間。確かな礎がスポーツの未来へとつながる。

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「プロフェッショナル」を学ぶ4年間。確かな礎がスポーツの未来へとつながる。

2017.06.01

提供元:日本体育大学

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「プロフェッショナル」を学ぶ4年間。確かな礎がスポーツの未来へとつながる。

数々のオリンピック選手を輩出している日本体育大学。そこで学ぶ4年間は、「プロフェッショナル」になるための時間です。ここでは、日体大を卒業した先輩や、現役で活躍する学生、3人のインタビューをご紹介。チームを甲子園優勝に導いた監督やオリンピック金メダルを目指し、世界で活躍する先輩などの覚悟をお伺いしました。

この記事をまとめると

  • 髙木美穂さん。日体大だから得られた、世界観の広がりと自身の変化
  • 岩嶋敬一さん。若い才能を開花させるための、日体大という源
  • 阿部一二三さん。日体大で築く目標達成の力と、その先にある覚悟

目先の結果にとらわれず多くを学び経験した4年間を世界で戦う成長につなげる

髙木美帆 体育学部体育学科2017年卒業。スピードスケート500m~3,000mに出場するオールラウンダー。中学3年生の時、バンクーバー五輪に日本のスピードスケート史上、最年少で出場する。その後も個人戦に加え、団体戦でも数々の記録を達成。サッカー選手として女子U-15の日本代表候補に選抜された経験も持つ。

髙木美帆 体育学部体育学科2017年卒業。スピードスケート500m~3,000mに出場するオールラウンダー。中学3年生の時、バンクーバー五輪に日本のスピードスケート史上、最年少で出場する。その後も個人戦に加え、団体戦でも数々の記録を達成。サッカー選手として女子U-15の日本代表候補に選抜された経験も持つ。

●スケート以外の世界学びスケートに還元する

日体大への進学を決めた当初、周囲には大学進学を疑問視する声もありました。スケート競技の拠点としてきた故郷の北海道を離れ、なぜ東京の大学に進学する必要があるのか、と。しかし在学中、ナショナルチームのコーチから「ミホにとっては、スケート以外のことについて興味を持ちいろいろ学ぶのは良いこと」と指摘を受けたように、当時の私は自分の世界を広げられる勉強を求めていたのです。そして日体大では、その期待が十分にかなえられたと確信しています。中でも体の構造や機能について専門的に学べたことは、競技に取り組む姿勢にも影響を与えています。自分の体への意識が高まったことで、ナショナルチームでの指導に受け身で従うだけでなく、コーチやトレーナーが語る専門用語を理解した上で、言葉が意味することを自分の状態に合わせて最適化して取り込めるようになりました。また、スポーツ心理学や教育カウンセリングも興味深く学べ、メンタルの強化にプラスになりそうなことには積極的に取り組みました。
人との出会いも私の世界を広げてくれました。日体大には、さまざまな競技に力を注ぐ学生が全国から集まります。自分と違う環境で育ってきた人とのキャンパスでの時間や先輩や後輩との寮生活を送る中で、競技を超えて共感したり、思いも寄らない指摘を受けて視界が開けたりすることで、心の柔軟性も育まれました。また、スポーツを専門的に研究する先生方との会話は刺激に満ち、世界観の広がりを促してくれました。

●広げた世界観と柔軟さが新たな挑戦を促す

入学して1年あまり記録が伸びず、大会でも結果を残せない時期が続いたことがありました。その期間の私は生活や練習の環境を変えたにもかかわらず、スケートだけは従来のスタイルを貫き通そうと頑なになっていたのです。中学3年生の時にバンクーバー五輪に出場し、その後も高校までさまざまな大会で代表選手に選ばれてきたので、同じようにやっていればオリンピックに出場できると考えていました。しかし、大学1年次に開かれたソチ五輪の代表選考には落選します。それは、高校までの殻に閉じこもり、自分を変えることを恐れていたことの結果ともいえます。
これを機に、高校までの競技への取り組み方では世界に通用しないことを理解し、新たなことに挑戦しようと決意しました。取り巻く環境や状況に応じて柔軟に自分を変えていく上で、日体大で広げた世界観や多くの学生と接したことで培われた心の柔軟性と強さが、自分を見失うことなく、さらなる成長に向けた変化を支えてくれました。
4年生になったシーズンは、国際大会を含め個人や団体で複数の優勝を果たすことができました。その中で私にとって最も重要な意味を持ったのは、韓国で開かれた世界距離別選手権の1,500mで銅メダルを獲得したことです。調子が良いとはいえない状態で、前半の3日間は成績も振るいませんでした。それでも最終日まで勝利への気持ちを持ち続け、臨んだ1,500mで3位に入賞できたことは収穫でした。不調の時に自ら気持ちを奮い立たせ、状態に応じたレースを展開して入賞につなげられたことに、私自身が求めてきた変化と成長の成果を見たからです。
卒業式のシーズンはスケートのオンシーズンと重なり、高校の時と同様、大学の卒業式にも出席できませんでした。しかしその後も日体大を活動拠点とします。そして、2018年に開催される平昌五輪で日本代表として誇れるレースができるようにし、その結果として一つでも多くの金メダルを獲得することを目標に、トレーニングを続けていきたいと思います。

目標を共有して実行しチーム力で勝利する

岩嶋 敬一 体育学部体育学科1985年卒業。日体大卒業後、1985年に栃木県の作新学院高等学校の保健体育教員となり、硬式野球部コーチに就任。1987年に部長となり現在に至る。2009年、夏季大会で31年ぶりの甲子園出場を果たし、2011年から6年連続出場。2016年には54年ぶりの優勝を果たす。学外では、高野連の役員として高校野球の発展に貢献する。

岩嶋 敬一 体育学部体育学科1985年卒業。日体大卒業後、1985年に栃木県の作新学院高等学校の保健体育教員となり、硬式野球部コーチに就任。1987年に部長となり現在に至る。2009年、夏季大会で31年ぶりの甲子園出場を果たし、2011年から6年連続出場。2016年には54年ぶりの優勝を果たす。学外では、高野連の役員として高校野球の発展に貢献する。

●伝統校の野球スタイルを変え、優勝を果たす

2016年、全国高等学校野球選手権大会で作新学院高等学校が優勝を果たしました。いわゆる“夏の甲子園”でわが校が優勝したのは、春・夏連覇を遂げた1962年以来のこと。郷土の伝統校が54年ぶりに全国の頂点 に立ったことで、県内の高校野球への関心が一気に高まりました。選手の大半が県内出身者だったこともあり、優勝校を迎えてくれた地元の熱狂は一段と強く、伝統校が勝つことの意義を再確認したものです。
私が教職に就いた1985年当時、作新学院は夏の甲子園から長らく遠ざかり、春の選抜に出場しても大会の序盤で敗れ去っていました。守りを固めて相手に点を与えない伝統の野球スタイルが、全国では通用しない時代になっていたのです。そこで、攻撃型の野球で甲子園の常連校となったチームの情報を調べました。その中で日体大野球部の先輩が監督を務める高校からは、チームづくりに関してより詳しく教えを請い、わが校も打ち勝つ野球への変革が必要であることを確信します。そして私が部長となってのべ9人目の監督として若い小針崇宏監督が就任したのを機に、攻撃力の強化を課題とした新たなチームづくりに着手します。
伝統校には、学校はもちろん、OB会や地域のファンなど多くの人の期待が寄せられています。そのため、監督にグラウンドで新方針に基づく選手指導に専念してもらえるよう、私は部にかかわる方々に変革への理解を求めてまわりました。その取り組みが成果として現れたのが、31年ぶりに県大会を勝ち抜き出場を果たした2009年の夏であり、2011年からの6年連続出場と、2016年の54年ぶりの全国制覇です。

●日体大で学んだ能力開花を待つ指導

私自身は高校時代、目立った成績はあげておらず、甲子園にも出場できませんでした。日体大に進んだのは、高校で経験できなかった全国レベルの野球選手に交ざり自分の実力を試すとともに、大学卒業後は教員になり、地元の高校で野球部を指導したいと考えたからでした。
高校で実績がない私は、もちろん下位チームからのスタートでした。入学直後、後にプロ球団からドラフトで上位指名される先輩投手のボールを目の当たりにして、あの球を打ち返す力を身に付けなければ1軍には上がれないと肝に銘じ、自分なりの練習法を考えコツコツと自主トレーニングを重ねました。ようやくベンチ入りを果たせたのは、3年次の秋季リーグを迎える頃でした。そして4年次は副キャプテンとして、春秋の連覇を飾りました。同期にずば抜けた選手はいませんでしたが、勝つことへの意欲を共有するまとまりがあれば、チームとして大きな結果を残せることを日体大の野球で知りました。
今振り返ると、当時の監督は下位チームの選手にも平等に練習機会を与え、能力の開花を待ってくれていたように思います。そうした指導者としての姿勢は、高校で野球部を指導するようになり、特に部長として技術だけではない側面にも目を配る中で重要視し、目標を持った毎日の地道な努力こそが求める結果につながるという自身の経験を選手にも伝えるよう心掛けています。
2016年に甲子園で優勝した際は、割り当てられた時間以外の練習場探しに、日体大の卒業生ネットワークが力を貸してくれました。卒業して30年以上が過ぎ、改めて日体大人脈の強さと頼りがいを実感しています。

勝ち続けて強くなる 考える柔道を極める

阿部 一二三 体育学部武道学科2年。2016年入学。柔道部所属。高校までに講道館杯、グランドスラム・東京などの優勝で、史上最年少記録を更新する。日体大入学後も全日本選抜柔道体重別選手権大会、グランドスラム・東京、同パリで優勝。全日本選抜柔道体重別選手権大会は2連覇中。66kg級でIJF世界ランキング2位(2017年4月1日現在)。

阿部 一二三 体育学部武道学科2年。2016年入学。柔道部所属。高校までに講道館杯、グランドスラム・東京などの優勝で、史上最年少記録を更新する。日体大入学後も全日本選抜柔道体重別選手権大会、グランドスラム・東京、同パリで優勝。全日本選抜柔道体重別選手権大会は2連覇中。66kg級でIJF世界ランキング2位(2017年4月1日現在)。

●柔道における長期展望を定める

高校までの記録を一旦忘れ、大学ではオリンピックで通用する柔道をゼロからつくり上げようと考えました。首都圏の大学や実業団には、日本を代表する選手が多数在籍しています。選手に限らず設備も充実している日体大には、そうしたチームが頻繁に出稽古に訪れます。つまり大学の道場だけでも階級が上の強豪選手と練習する機会を持て、稽古を通して柔道に必要なパワーを強化できます。さらに日体大は、特に私と同じ軽量級の選手層が厚いため、毎日の練習でタイプが異なる選手と稽古ができます。
がむしゃらに技を仕掛けていた高校までの柔道は封印し、今は組み手をしっかりさせ、一瞬のチャンスをとらえることに集中しています。相手の動きを先読みする観察眼や試合の局面を見極める判断力、相手の出方次第で自在に柔道を変える対応力を強化した“考える柔道”を深化させることが現在の目標です。
朝練習を終えて授業に出て、夕方からの練習に参加する学生生活。毎日の練習に課題を設けて取り組むことも、柔道における考える力の向上につながります。また、授業で学んだ効果的なトレーニング法や柔道史などの知識も取り込み、心身共に安定した強さを持つ柔道家として成長を遂げたいと考えています。
実力の発揮に波があった高校までは、試合で負けた悔しさを糧にさらなる強さを求め自分を鍛えてきました。しかし、日体大の田辺勝監督から、勝ち続けて強くなる柔道を求められました。高校までとは比べものにならないくらい細かな指導を受けることで、柔道家としての長期展望を明確にしました。一つひとつの試合に勝つことに集中しながらもその結果に一喜一憂せず、目標とするのは、2020年の東京オリンピックでの金メダルです。2020年に優勝を果たせた時、その結果には一定の充実感を得ると思いますが、またすぐに次のオリンピックに照準を定め、さらにその時必要な練習を重ねていく覚悟は、すでに整っています。

【広告企画】提供 : 日本体育大学

この記事のテーマ
体育・健康・スポーツ」を解説

病気やケガの予防や予後のケアを通して、人々が健やかに暮らせるようにするのが、健康学の理念です。食生活や運動などのライフスタイルや心理状態、検査やリハビリテーションなど、学ぶ内容は多岐にわたります。体育やスポーツは、健康を維持するための身近な方法であるとともに、人生を豊かにする趣味であったり、人によっては職業になることもあります。競技技術の向上だけではなく、メンタルや栄養、指導者のスキルも学びます。

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