北海道には弥生時代がなかった、って知ってた?

この記事をまとめると
- 北海道には弥生時代が存在せず、「続縄文時代」や「擦文時代」があった
- 北海道は気候の影響で稲作が行えず、狩猟生活が続いていた
- その土地独自の歴史や文化を調べることで新しい発見があるかも
独自の文化が根付く北海道には、弥生時代がなかった?
現在でも独自の文化や自然が根付いている北海道。同じ日本でありながら、その歴史には大きな違いがあったようです。
日本の歴史では、縄文時代の次は、弥生時代とされていますが、北海道には弥生時代は存在しません。北海道を時代別に分けていくと、旧石器時代、縄文時代、そしてその後に「続縄文時代」、「擦文(さつもん)時代」と続き、そこからアイヌ文化の時代へ移ります。
縄文時代までは本州と同じような歴史をたどっていたものの、その後は弥生時代に移行せずに独自の文化を築いたのです。今回は、縄文時代以降の北海道独自の歴史について見ていきましょう。
北海道では狩猟中心の生活が長く続いていた
紀元前300年頃、本州では縄文時代が終わり、弥生時代が始まりました。狩猟に変わって、大陸から伝わった稲作が広まり、人々は土器や鉄、青銅といった金属器を使用するようになったのです。
しかし、北海道では気候の影響から稲作が成り立たなかったため、採集や漁、狩猟を中心とする縄文文化がそのまま続きました。その文化体系が「続縄文時代」、そしてその次の「擦文時代」につながっていきます。続縄文時代には青森県北部や漢(現在の中国)の文化から、擦文時代には本州の土器文化からも影響を受けてきたと言われています。
また、続縄文時代末期には、現在の網走市付近にあたるオホーツク海沿岸部において、「オホーツク文化」と呼ばれる独自の文化が根付きました。この文化圏の人々は舟を使った漁業やアザラシやトドなどの狩猟、捕鯨を行うなど“海の狩人”と呼ばれていました。また、ヒグマやシカを狩猟して肉や毛皮を得たり、豚や犬を家畜としたりもしていたようです。
“海の狩人”と呼ばれたオホーツク文化圏の人々の暮らし
擦文時代が終わると、アイヌ文化の時代が始まりました。この時代では、土器に代わって漆器や鉄器が使用され始め、人々の住まいは、竪穴式住居から地面をそのまま土間として利用する平地式住居へと移行していきます。この時代の狩猟採集民族、アイヌの血を受け継ぐ人々は、現在も北海道やロシアに居住しています。
同じ日本にありながら、独自の文化や歴史を重ねていった北海道。このように過去に起こった物事について、ルーツや背景、事実を研究する学問を「歴史学」と言います。北海道をはじめとした日本各地の歴史をもっと知りたいと考えている人は、歴史学を探求することで、新たな歴史の発見があるかもしれません。
この記事のテーマ
「文学・歴史・地理」を解説
文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。
この記事で取り上げた
「歴史学」
はこんな学問です
歴史学とは、対象とする大陸・国・地域などにおいて、過去に起こった物事を取り上げ、当時それがどのような意味を持っていたのかを、残された物や建造物、文書などから研究する学問である。ただ、資料を正確に読み取るだけではなく、事実かどうかを疑い、踏み込んで検証する批判的視点も重要である。歴史学の基本的なラインナップには、日本史、東洋史、西洋史、考古学がある。また、政治制度・経済活動・芸術文化・信仰宗教などに特化した考察も行う。
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