【シゴトを知ろう】彫刻家 ~番外編~
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彫刻家というと孤高の芸術家のイメージを抱く人もいるかもしれませんが、今回お話を伺った彫刻家の大森暁生さんは商店街のある下町に暮らす気さくなお兄さんでした。しかしつくるものは張りつめた空気や強い引力を感じるものばかり。キャリア20年以上の大森さん。その感性は一体どのように保っているのでしょうか。また、彫刻家として長く活躍するために心がけていることとは何なのか、伺いました。
この記事をまとめると
- 好きなことを人生の軸に置くと人は変わる
- 若いの頃の「素直さ」を持ち続けることが大事
- アートの世界で活躍しているのはサービス精神が豊かな人
順位をつけられることにワクワクした
――彫刻家になろうと決意した時はどんな心境だったんですか?
「今日から彫刻家だ!」と決心した日があったわけじゃないんです。修業先が彫刻家でなければ別の職業になっていたかもしれません。手でモノをつくることが好きで、たまたま目の前にその世界があって需要が得られただけ。「食えるわけがない」と言って美大卒業と同時にやめていく人も多いのですが、自分は決死の覚悟をしたというより、当然なるものだと思っていただけ。良く言えば素直なんでしょうね。
――とは言え、人よりも上手くできるという自負はあったのでしょうか
物心ついた頃から粘土細工にはじまり、小中高と図画工作や美術は得意でしたが、自分が大好きだというだけで、それ自体が自信につながることではありませんでした。その年頃の男の子にとっては足が速い方が大事だったりするじゃないですか(笑)。でも美大に行くために通った美術予備校で意識が変わりました。デッサンを描けば露骨に順位をつけられ、傷つきもしますが、逆にそれにワクワクして1番を目指して努力するようになりました。好きなことを人生の軸に置くと人は変われるものなんだなと気づいた体験でもありました。
――家具と彫刻を融合した作品が人気ですが、思いついたきっかけは何だったのでしょうか
初期の頃から作っていたのですが、本格的にお客様が付き始めたのは2004年頃。インテリアブームで、一般の人が何十万円もするテーブルやソファを買うようになった頃でした。日本では彫刻は「置く場所がない」と言われてしまうことが多いのですが、家具は高額でも買う人がいる。だったら家具としても使える彫刻作品をつくればいいんじゃないかと思ったことがきっかけです。
――アイデアはどうやって思いつくことが多いですか?
作品のイメージは言葉から入ることが多いです。誰かの言った印象的な言葉が後で別のものとくっついて作品が生まれることもあれば、落語を話してみたいけれど自分には話せないから代わりに彫刻で表現したことも。何となくつくるということはなく、ルーツがあって説明ができるものばかりです。もともとアートオタクではないので、普段からアートとはあまり関係ない物をよく見ています。アイデアという言葉もあまり好きではなく、衝動を大切にしています。けれど衝動だけでは産み出せないときもあり、そんなとき最後に仕方なく頼るものがアイデアですね。
――年間どれくらいの数の仕事をこなしているんですか?
年間で40~50の展覧会に出展しています。彫刻家としてはかなり多い方です。制作数は、木彫作品は年間30~40点ほど。ブロンズ作品は数百点つくる年もあります。
――お客様はどのような方が多いですか?
美術品は高額ゆえ、それを買い求める方というと隠居した富裕層を思い浮かべるかもしれませんが、僕のお客様には勢いのある若い経営者の方が多く、働き盛りの会社員の方も大勢います。毎朝作品を見て、気持ちを奮い立たせているという声をいただくことが多いです。
素直な人が一番強い
――彫刻家は年齢関係なく活躍できる仕事ですか?
年齢は関係ありません。ただ、食えるようになるまでには時間がかかるので早く始めるにこしたことはありません。今はSNSで突然有名になれる時代ですが、それも一瞬のこと。僕が今、普通の彫刻家の一生分の展覧会の数をこなしているのは、早くから経験をしておけばいろんなことがわかって早めに次の判断につながるからです。やはりこの仕事は気力・体力・感性ともに充実した20代~40代が勝負。自分はもう終盤に差し掛かかりましたが、ここを乗り越えれば衰えてくる中にも戦えるものが得られるだろうと思っています。
――彫刻家としてキャリアを積む中で意識していることはありますか?
美術の世界では「若い頃の作品の方がよかったね」と言われることがよくあります。技術は日々の努力で伸びていきますが、意識しなければいけないのは若い頃の「素直さ」を持ち続けること。いい年をして素直っていうのもどうかとは思いますが(笑)、徹底して素直な人ほど強いものはないと思っています。
――独立した際、不安はありませんでしたか?
大学4年生で彫刻家のアシスタントを始めてから今日まで、幸いなことに暇というものをしたことがありません。30歳で独立した時は専門学校の講師の仕事もしていましたが、36歳で給料をもらう仕事をやめ、彫刻家1本で生きていくことを決めました。冷静に考えれば不安になるはずだけど、それよりも目の前の締め切りに間に合うかどうかという心配のほうが大きかったです。
――お休みはほとんどないのでしょうか?
もちろんぼーっと過ごす日もあります。放っておくと1日ゴロゴロしてしまうタイプで、戒めてくれる人がいないから締め切りをたくさん入れて自分を律しているところもあります。長期の休みも自由に取れるけれど、あまり取っていません。その代わり地方や海外の展覧会では長期の出張も多く、それが良い気晴らしになっています。普段もずっと彫っているわけではなく、打ち合わせで外に出たり、友達と食事をしたり、買い物したりと息抜きはいつもしています。
芸術=感動するもの
――美術の仕事や彫刻家の仕事に興味を持っている高校生に、どんなことを伝えたいですか?
「芸術家」や「アーティスト」という肩書きに憧れる人もいるかもしれませんが、僕の考えでは、それは作品を評価してくれた人がお褒めの言葉として言ってくださることで、自ら名乗るものではないと思っています。ですから自分の生業のことはいつも「彫刻家」と名乗っています。決して肩書きやスタイルへの憧れではなく、彫刻家なら「木を彫ることが好き」、ファッションデザイナーなら「服をつくることが好き」、料理人なら「美味しい料理をつくることが好き」という本質的な気持ちから入らないと続きません。
最近はメディアでも、ただキャッチーで驚きのあるものを指して「芸術」や「アート」と言って取り上げる風潮がありますが、僕は「芸術」=「感動するもの」だと思っています。だから自分の仕事はサービス業であり、お客様に喜んでいただくためのショービジネスだと思っています。サービス精神が豊かであることがこの仕事には大切です。美術の世界で食べている作家はみんなそういう人です。
大森さんは彫ることが好きなだけでなく「場」をつくることが好きで、個展ではお客様に非日常な世界を楽しんでもらえるよう、会場づくりからこだわるそうです。彫刻家がサービス業というのは意外かもしれませんが、人に向けて何かやることは全て「サービス業」だと考えて取り組める人が、確かにどの世界でも成功しているようです。もっと深く知りたい方はぜひ展覧会に足を運び、大森さんの仕事に触れてみてください。
【profile】彫刻家 大森暁生
HP:http://akioohmori.com
【記事トップ画像】
Mountain hawk eagle in the frame
H90×W147×D77(cm)
檜、漆、黒箔、彩色、ステンレス
2014
©AKIO OHMORI
Photo:KATSURA ENDO
この記事のテーマ
「デザイン・芸術・写真」を解説
デザインは、本や雑誌、広告など印刷物のデザイン、雑貨、玩具、パッケージなどの商品デザイン、伝統工芸や日用品などの装飾デザインといった分野があり、学校では専門知識や道具、機器を使いこなす技術を学びます。アートや写真を仕事にする場合、学校で基礎的な知識や技術を身につけ、学外での実践を通して経験やセンスを磨きます。
この記事で取り上げた
「彫刻家」
はこんな仕事です
石、木、金属などを彫り込み、芸術作品として立体物を造形する仕事。近年では空間演出も含め、空間造形作家として活動する人もいる。彫刻の歴史は古く、絵画と同じく有史以来の芸術。その目的や彫刻のあり方も変化してきた。彫刻家になるには、まず作品を具象化するデッサン力をしっかり身に付けておこう。美大などの彫刻科で学んだ後は、工房で働いたり彫刻家に弟子入りしたりするなど決められた道はない。彫刻だけをなりわいとするケースはまれで、美術講師や絵画教室などを兼業している人も。美術展での受賞が評価につながる。