大阪が“笑いの聖地”と呼ばれる理由とは? 上方落語、吉本興業に見る笑いの歴史

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大阪が“笑いの聖地”と呼ばれる理由とは? 上方落語、吉本興業に見る笑いの歴史

2016.09.02

提供元:マイナビ進学編集部

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大阪が“笑いの聖地”と呼ばれる理由とは? 上方落語、吉本興業に見る笑いの歴史

時に“笑いの聖地”と言われ、“大阪人=おもしろい”というイメージが定着している大阪。そのルーツには、戦国時代に誕生した“上方落語”、そして明治末期の創業以来100年以上にわたって多くの人気芸人を輩出してきた“吉本興業”の存在が大きいといえるでしょう。今回は大阪の“笑いの歴史”について探ります。

この記事をまとめると

  • 落語のルーツは戦国時代にあり
  • 上方落語から漫才へ
  • 吉本興業の台頭

落語の誕生は16世紀後半、戦国時代!?

16世紀後半の戦国時代には、将軍や殿様におもしろい話を聞かせて楽しませる“御伽衆(おとぎしゅう)”と呼ばれる文化人がいました。その“御伽衆”の中でも、織田信長の側近だった野間藤六や、豊臣秀吉の側近だった曽呂利新左衛門などが得意とした、とんちを利かせた笑い話が「落語」の始まりと言われています。

また、その笑い話を民衆に伝えたのが、岐阜市山県に生まれ、京都誓願寺で「醒睡笑(せいすいしょう)」を著した安楽庵策伝和尚だとされています。和尚の説法には必ずオチがついていて、その説法こそが現代につながる「落語」の原点だとも言われています。全8巻、1,000を超える話で構成された「醒睡笑」には、「平林」「牛ほめ」といった現代でも演じられている落語の原型と思われる話が多く収められています。

時代は移って江戸時代、元禄文化が栄える直前の天和〜貞享のころ(1680年代)。京都に露の五郎兵衛という、辻噺(つじばなし。現在の落語)で生計を立てる、いわば日本初の“プロの落語家”が登場します。また、ほぼ同時期、江戸に鹿野武左衛門、大阪に米沢彦八という落語家が登場。米沢彦八は辻噺のほか、歌舞伎役者のモノマネや、小道具を用いて滑稽な話を演じる“俄(にわか。即興の滑稽寸劇)”も得意とし、“コントの元祖”を作った人物とも言われています。

上方落語の特徴、現代につながる大阪の笑いのルーツって?

その後、庶民の娯楽としてさらに発展していった落語。京都・大阪の“上方落語”と江戸の“江戸落語”は、その仕組みに違いがありました。

江戸落語はお座敷の芸能になっていったのに対し、上方落語は神社の境内や河原など、屋外で行われていました。また、江戸は入り口で入場料を支払う仕組みだったのに対し、上方は落語が終わった後に料金を集めて回っていました。そのため、上方では、街の喧騒の中、道行く人の足を止めて噺を聞いてもらい、さらに、入場料を集めるために最後まで客を惹きつける必要があったのです。

上方の落語家たちは、大きな音を立てたり、三味線や太鼓ではやして客の足を止め、大きな声でお喋りを始めると、“まくら”と呼ばれる本題に入る前の短い噺から、“オチ”や“下げ”と呼ばれる話の締めまで、“笑わせたもの勝ち”の精神で貪欲に笑いを獲っていきました。

現在、大阪のお笑いに、大きな声で貪欲に笑いを獲りにいく印象があるのは、落語が屋外芸で料金後払いだった名残りかもしれないと言われています。

大正時代に入ると、1913年(大正2年)に、吉本吉兵衛・せい夫婦が寄席経営を始めます。これがのちの“吉本興行部”。古典落語にナンセンスなギャグを取り入れた斬新なネタと巧みな話術で、落語界のスーパースターとなっていた初代桂春団治も、1921年(大正10年)に吉本の専属契約となり、吉本は上方演芸界を掌握していきます。

また、スーツ姿で軽快なかけ合いをする、漫才(当時の万才)の元祖といえる横山エンタツ・花菱アチャコが結成された1930年(昭和5年)、万才専門の寄席小屋である「南陽館」を開館。格安料金の“十銭万才”で人気を集めます。1933年(昭和8年)には吉本興業宣伝部がこの演芸を“漫才”と表記することを宣言しました。

これが現代へとつながる“漫才”の歴史の始まりです。一方、上方落語は、修行期間が長いこと、世襲制をとらないことから、後継者不足に陥り、衰退の一途をたどります。

大阪から多くのスターを排出した、MANZAIブーム

1959年(昭和34年)、「うめだ花月劇場」を開場した吉本興業は、後に“吉本新喜劇”として関西のお茶の間で愛される“吉本ヴァラエティ”のテレビ中継をスタートします。劇場で横山やすし・きよしらが人気を博す中、1980年(昭和55年)にフジテレビが漫才のスペシャル番組「THE MANZAI」を放送すると、日本では空前のMANZAIブームが起こります。B&B、ザ・ぼんち、今いくよ・くるよ、島田紳助・松本竜介など、大阪から多くのスターが排出されました。それまで関西以外では馴染みの薄かった関西弁がテレビを通して全国区で受け入れられ、MANZAIブームをキッカケに“大阪=おもしろい”のイメージが定着していきます。そして今、吉本興業が日本のエンターテインメント界を代表する存在となっているのは、皆さんも知るところ。

大阪が“笑いの聖地”と呼ばれる理由には、戦国時代をルーツとする上方落語、そして漫才の歴史が深く関係しているといえるでしょう。いつの時代も庶民に愛され、人々に笑顔と幸せを与えた落語や漫才という文化についての歴史をさらに掘り下げてみるのもおもしろいかもしれませんね。

※参考資料
吉本興業 http://www.yoshimoto.co.jp/corp/
大友浩「もう一度学びたい 落語のすべて」(西東社)
小佐田定雄「上方落語」 http://www.chikumashobo.co.jp/special/kamigatarakugo/
「SmaSTATION-5」公式HP http://www.tv-asahi.co.jp/ss/185/top.html
「吉本興業ヒストリー」 http://www.yoshimoto.co.jp/100th/history/

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文学・歴史・地理」を解説

文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。

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「歴史学」
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歴史学とは、対象とする大陸・国・地域などにおいて、過去に起こった物事を取り上げ、当時それがどのような意味を持っていたのかを、残された物や建造物、文章などから研究する学問である。ただ、資料を正確に読み取るだけではなく、事実かどうかを疑い、踏み込んで検証する批判的視点も重要である。歴史学の基本的なラインナップには、日本史、東洋史、西洋史、考古学がある。また、政治制度・経済活動・芸術文化・信仰宗教などに特化した考察も行う。

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