りんご飴マンが行く! 津軽のお仕事取材レポート 〜ねぷた職人編〜

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りんご飴マンが行く! 津軽のお仕事取材レポート 〜ねぷた職人編〜

2016.08.10

提供元:マイナビ進学編集部

りんご飴マンが行く! 津軽のお仕事取材レポート 〜ねぷた職人編〜

この記事をまとめると

  • ねぷた職人の仕事は制作だけではなく、技術や想いを伝承すること
  • 幼少期に出会ったねぷたが、今の「居場所」になった
  • 今の時代だからできることに積極的にチャレンジしてほしい

やぁ、今を生きる高校生のみんな、りんご飴マンだよ。とうとう夏本番! みんなは夏休み中だと思うけど、充実した毎日を過ごしているかな? りんご飴マンも花火にBBQに夏を満喫しているけど、できれば友達が欲しいなぁ。

さて、青森ではいよいよ「弘前ねぷたまつり」がスタート。武者絵が描かれた巨大な灯籠山車が、津軽っ子の掛け声と囃子(はやし)の音と一緒に街を駆け抜けます。大小様々、形もシンプルな扇型から人形タイプのものまで各団体が趣向を凝らしたねぷたは生で見ると迫力十分、ぜひ現地で見てほしい津軽が誇るアートなんだ。

ところでこのねぷた、どんな人が作っているんだろう? 代々受け継がれてきた伝統文化だから特定の人にしかなれないのかな?
ということで、今回はねぷた職人さんのお仕事について聞いていきたいと思います。

今回取材させていただくのは中川俊一(なかがわ しゅんいち)さん。創設から44年間続くねぷた団体「必殺ねぷた人」の三代目棟梁(とうりょう)だ。

――中川さん、今日はよろしくお願いします。というか、いつもにこやかなのに写真だとちょっと顔が怖いです。

中川:よろしく!

朝から晩までねぷた漬けの生活。「職業」を伝承したい棟梁としての想い

――早速ですがお仕事の内容を伺いたく。この時期は特に忙しい毎日を過ごしているかと思いますが、どのような仕事をしているのでしょうか。


中川:夏はもちろんねぷた制作を行っていて、それこそ朝から晩まで幽閉されてるね(笑)。頭の中で完成図をイメージしながら、土台や骨組み作り、紙貼りや墨入れ、ロウ引きや色つけなど一連の作業を団体の参加者や子供たちと分担してコツコツと進めていく感じかな。

――ねぷたまつりが終わったら違う仕事をされているのですか?


中川:いや、結局はねぷた関連の仕事をしているね。浅草で弘前のねぷた祭りを誘致し、大通りをねぷたの山車が練り歩く「弘前ねぷた浅草まつり」の準備をしたり、ゆるキャラのねぷたを作ったり、運行したねぷたをデパートに貸し出ししたり、色々です。


――夏が終わってもねぷた漬けの生活なんですね。


中川:その他にも、ねぷたの技術をねぷただけに使うのはもったいないと思っていて、例えば使い終わったねぷたの和紙をリサイクルして何か工芸品やお土産品に活用できないかとか、ねぷたに関する本を執筆させてもらったりとか、初めから予定されていたものではないけど、気がつけばねぷた絡みで一年が終わっていた、みたいな。

――年間を通しての活動が見えづらい、読みにくいお仕事だと思うのですが、職業としてねぷた職人をやられて感じることはありますか?


中川:うーん、「ねぷた組師」っていうのは職業としてまだ成立しているとは言えないと思うんだよね。ボランティアで行うことが悪いこととは思わないけど、プロとしてキチンとお金をもらい、暮らしていけるようにする。そういったモデルケースを自分が作っていきながら、子どもたちに継承していくってことも大切なんじゃないかなと思います。

――まさに伝統文化の継承、ということですね。


中川:すごい珍しい技だしね、ねぷたの技術っていうのは。ねぷたを輸出というよりは、ねぷたの技を輸出して仕事としてのバリエーションが広がり、次の担い手が働きやすくなる環境を作ることも、実は目標だったりしています。

ねぷたとの出会い。内気な自分が初めて見つけた「居場所」

――そもそもの質問で恐縮ですが、中川さんはどうしてねぷた職人になったのですか?


中川:小学3年生の頃、親戚の叔父さんがねぷた小屋に連れてってくれたことがキッカケだね。すぐに夢中になって、毎日学校終わりに小屋に通うのが楽しみで仕方なかった。小学生の頃はただ遊んでいるだけだったけど、中学生になると作業を手伝わせてもらって、高校生になったら「いつかここの後継ぎになりたい」と思い始めるほど、とにかくのめり込んだ。

――ものすごいハマりっぷりですね。そこまで中川さんを魅了したのは何だったのですか?


中川:うーん、やっぱり「人」かな。優しくしてくれたっていうのもあるけど、何か必ず役割をくれた。それが買い出しとか、小さなことでも何でもよかった。人に頼られるのって、嬉しいじゃない? 実は僕、子供の頃は体も小さかったし内気だったから図書館で本ばかり読むような子だったから。

――えっ!? 今じゃ想像もできない!


中川:逃げるように毎日生きていたけど、ねぷた小屋に行ったあの日から自分の中に「居場所」ができたような気がして。中学生になっても、高校生になっても部活が終わったらすぐに小屋に向かっていたね。

――青春時代のすべてをねぷたに捧げていたのですね。そこから三代目の棟梁になると思うのですが、その感じだと順調に受け継がれたみたいですね。


中川:いやいや、全然。19歳の時に急きょ棟梁になったから。

――ええ!? どういうことですか?


中川:当時自分は東京の大学に通っていたんだけど、夏休みに帰省したときに二代目棟梁が辞めることになって、それまで続いていた団体を畳むことを突然聞かされて。棟梁から「この団体を頼めるのはお前しかいないけど、断ったとしても誰も責めやしない」と言われたんだよね。

――当時の若さで継ぐことは迷いもあったのではないですか?


中川:「やるよ」って。迷いなんかより、ここがなくなる方が嫌だったから。そこから棟梁になるために関係各所に挨拶しに行ったんだけど、「19の若造に何ができる」と言われることもあったし、「人生めちゃめちゃになるよ」って心配もしてくれたけど、とにかくやらせてくれって頼み込んだ。根負けしたのか、最終的に「やらせてみようよ」って言ってくれて、継ぐことになりました。

やれなかったことができる時代だからこそ、積極的なチャレンジを。

――壮絶な人生を送ってきた中川さんですが、高校や大学を卒業してすぐにねぷた職人になろうと思っていたのですか?


中川:いや、さすがにそんな若い頃から棟梁になることは考えていなかったね(笑)。当時は今言うと恥ずかしいけど、普通のサラリーマンにだけはなりたくないなって思っていたから、パイロットか船乗りになるってずっと決めてて。東京で仕事をしてから地元に戻ってきて、そこから棟梁を受け継げれば……という感じでした。

――当時はまさか10代で継ぐとは夢にも思ってなかったでしょうね。それでは最後に、今の高校生に向けて何かメッセージがあればお願いしたいです。


中川:抽象的だけど、僕ら20世紀の人間が考えもしないような、大胆な仕事や取り組みにチャレンジしてほしいです。今って21世紀になってもう16年も経っていて、こんなにも技術が進んで、昔やれなかったことができる、諦めなければいけなかったことができるとても恵まれた時代だと思うんだよね。

――それ、すごい思います。例えばYouTuberにしても昔ならやれなかった仕事です。それは「YouTube」というメディアが生まれてなかったということではなく、アイドルや歌手のような特定のスキルを持った人間以外が不特定多数に情報発信をする文化そのものがなかったから。あ、もちろんりんご飴マンも。昔だったら即潰されてたというか、誰も相手にしてくれなかったでしょうね(笑)。


中川:社会的に失敗が許されないような風習は今も昔も一部であるかもしれないけど、これだけ職としての幅が広がった今、何事にもチャレンジして欲しいなと。

――中川さんのねぷた職人としてこれからの夢はありますか?


中川:やっぱりねぷたの「技」を世界に発信したいね。こてんぱんにやられたっていい、誰かがやらなければ、次の時代を担う子供たちがチャレンジできる環境を失ってしまうから。それは自分の責任だと思っています。

――いつか四代目に引き継ぐときが来ると思いますが、今からワクワクしますか?


中川:早くその時が来てほしい気持ちと、もうちょっとやらせてほしい気持ちの半々。若い頃には分からなかった子供たちが成長していく喜びを今は感じているし、その自然な流れから「四代目」という言葉が出てくることを楽しみにしています。

――ありがとうございました。

取材を終えて収録した音声を聞いていると、中川さんが「居場所」という言葉を多用されていることに気がついた。それほど小学3年生の頃に偶然出会ったねぷたという根深いコミュニティに衝撃を受けたのだと思うし、それまで「居場所がなかった」という話は聞いていてとても共感できるものだった。

仕事のどこにやりがいを感じるかは人それぞれだと思うけど、僕もそこが「居場所」だと感じたなら、そこにとことん入れ込むようなタイプの人間だ。自分がやりたいことはないけれど、必要としてくれる、頼ってくれる人たちのために頑張りたい、恩返しをしたいという高校生がもしいたら、こういう生き方があるということをぜひ知っておいてほしい。仕事とは、自分のやりたいことを実現させるためだけの場ではないのだから。

【プロフィール】
中川 俊一
人形ねぷた組師

1977年青森県生まれ。大学在学中の1997年に必殺ねぷた人の三代目棟梁。
都内の大学を卒業して美術関連の仕事をしていたが、25歳の時Iターンし、大学院に進学。芸術学と地域社会学の視座からねぷたを調査研究する。現在も研究を進めながら、ねぷた制作に従事。昨年春より弘前ねぷた参加団体協議会事務局長に就任。

この記事のテーマ
デザイン・芸術・写真」を解説

デザインは、本や雑誌、広告など印刷物のデザイン、雑貨、玩具、パッケージなどの商品デザイン、伝統工芸や日用品などの装飾デザインといった分野があり、学校では専門知識や道具、機器を使いこなす技術を学びます。アートや写真を仕事にする場合、学校で基礎的な知識や技術を身につけ、学外での実践を通して経験やセンスを磨きます。

「デザイン・芸術・写真」について詳しく見る

この記事で取り上げた
「人形作家」
はこんな仕事です

伝統工芸の雛人形をはじめ、西洋人形、創作人形など、さまざまな分野の人形制作を行う人を指す。手先の器用さと、ときには美術解剖学的な知識も生かされる。人形メーカーや工房に入り、指導や研修を受けながら技術を身に付ける。あるいは人形作家に弟子入りするほか、各種教室で人形作家のイロハを学ぶことも可能。経験を経て優れた技法を身に付け、販売ルートが確立されれば独立の道も開かれる。一般のメーカーや工房では、顔や衣装などパーツごとに専門が分かれていることが多いが、公募展に出展して自分の力を試すこともできる。

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