「連日40㎞も歩くのが普通だった」交通手段のなかった江戸時代の旅事情

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「連日40㎞も歩くのが普通だった」交通手段のなかった江戸時代の旅事情

2016.07.29

提供元:マイナビ進学編集部

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「連日40㎞も歩くのが普通だった」交通手段のなかった江戸時代の旅事情

この記事をまとめると

  • 東京から京都まで、今は140分、昔は2週間
  • 身分や裕福さにより、ホテルは「本陣」から「馬宿」までランク分け
  • 江戸時代も、旅行者はカフェでランチした

いわゆる「現代」と呼ばれる社会になってから、交通手段は飛躍的に進化しました。東京から京都まで「のぞみ」に乗ると、2時間と20分くらい。余裕で日帰りできる距離ですね。

それがわずか150年ほど前の江戸時代までさかのぼると、もちろん新幹線などありません。京都に向かう人々は中山道(または東海道)をひたすら歩いたといいます。全長530㎞ほどありますから、毎日40㎞歩いたとしてもゴールするまで2週間ほどもかかりました。連日40㎞歩くなんて、今ではちょっと考えられませんが、記録によると健脚な男性の平均的なペースのようです。

当然のことながら街道沿いには、そんな旅行者たちのための宿場町が発達しました。中山道に69あったといわれる宿場町の中で、今もその景色が残る妻籠宿を例に、当時の旅人事情を見ていきましょう。

大名や公家は、一番ランクが高いホテル「本陣」へ

宿場町は、「見付」という駐在所(交番)のようなものに挟まれおり、見張りの番兵が警備を行って安全を確保していました。江戸側にあるものを「江戸見付」、京側にあるものを「上方見付」といいます。東京の地名「赤坂見附」は、そんな呼び名の名残です。

町内の宿場は、滞在する人の位によって分けられます。大名や公家、役人を中心に身分の高い人が泊まるのが、5つ星ホテルに相当する格式高い「本陣」。当時は格式が最重要視されていたため、本陣の宿泊中に、後から身分の高い大臣が来てしまった時は明け渡すこともあったようです。

もちろん当時は、予約サイトなどはありませんから、いつ、何人が泊まりに来るかは「先触(さきぶれ)」という通知書を出しておいて、到着少し前に家臣が確かめに来るシステムでした。

長野県木曽郡に現存する「妻籠宿」

宿場町が書かれた文学といえば、藤崎藤村の「夜明け前」が有名ですね。「馬籠宿」が小説の舞台となりました。この宿はかつて長野県木曽郡山口村にありましたが、今は山口村の合併により住所が岐阜県となっています。

そして馬籠宿からわずか数キロの距離にあるのが、長野県木曽郡に現存する「妻籠宿」です。本陣のオーナーは代々島崎の人間が継いでおり、藤村の兄が最後の当主でした。

妻籠宿は一度取り壊されてしまいましたが、明治に復建されました。重厚な冠木門や、巧みな光の取り入れ方がされた奥谷の日本家屋はいまも観光で見ることができ、当時の景色を楽しめます。谷崎潤一郎も論じた、日本家屋の「闇と光の美しさ」がまさに体現された空間といえるでしょう。

「脇本陣」「木賃宿」「馬宿」身分に合わせたさまざまな宿

宿泊施設を利用するのは大名だけではありません。商人や寺社参詣者などさまざまな位の人々が利用し、客層に合わせた宿が存在しました。宿を格式の高い順に並べると以下のようになります。

■本陣
大名をはじめとした位の高い人物が利用します。
庶民を泊めることが出来ないため、経営に苦しむ本陣もあったようです。

■脇本陣
大名行列など人数が多いときに利用された宿です。
一般の宿にくらべお値段は張りますが、庶民も利用できます。

■旅籠屋
主に庶民が利用しました。現代の一般的な宿と同じシステムで、朝食と夕食がついてきます。
宿によっては弁当が出るところもありました。

■木賃宿
旅籠の5分の1程度の値段で利用できますが、食事がつきません。
宿泊客は持参した米を自分で調理していました。
もともとは木賃宿の方が一般的でしたが、庶民の旅が増えるにつれて食事付きの旅籠が増えていったようです。

■馬宿
最もランクが低い宿です。
馬の肥料を煮炊きできる釜戸などがあり、牛馬と牛馬引きが一緒に泊まれるようにつくられていました。

これらの宿の近所には、茶屋が栄えました。ホテルの近くにカフェがあるのと同じですね。旅人たちは茶屋でうどんやそば、饅頭、もちなどを楽しみながら歩く旅を続けたようです。

道しるべにも表れた地域性

中山道六十九次のように、目的地までに69の宿場町があるとはいっても、それぞれの間は、ひたすら歩くだけの自然道です。「次の宿場町まで我慢しようと思ったけどお腹がすいた」とか、「脚が痛くなってきたから少し休みたい」ということもありますね。そんなときのために用意されたのが、立場(たてば)茶屋です。「道の駅」ができる前のドライブインのようなものといえるかもしれません。

あちこちに地図の表示もなかった時代、石や木で作られた道しるべは目的地を示すだけでなく、地蔵様を兼ねていたり、観光名所の広告の役割もありました。「夜明け前」は「木曽路はすべて山の中」という冒頭から始まります。書いた藤村自身も、もっと案内板が必要と思っていたかもしれません。妻籠宿のはずれの立場茶屋に、藤村作の「是より北 木曽路」の文字が、石碑として残っています。

交通事情が違えば、それに合わせて宿場も茶屋も、関係する全ての環境が変わります。当時の文化で何か気になるものを見つけたときは、その周りにどのような環境が作られたのか、視野を広げて研究してみてください。それぞれが連鎖して当時の風景がよく見えてきます。

■参考資料
妻籠観光協会HP
http://www.tumago.jp/
南木曽町観光協会公式HP
http://www.town.nagiso.nagano.jp/kankou/midokoro/midokoro_2.html
国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所HP
http://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/index.htm
馬籠観光協会HP
http://www.kiso-magome.com/index.html
レファレンス共同データベース
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000139827

この記事のテーマ
文学・歴史・地理」を解説

文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。

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「歴史学」
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歴史学とは、対象とする大陸・国・地域などにおいて、過去に起こった物事を取り上げ、当時それがどのような意味を持っていたのかを、残された物や建造物、文章などから研究する学問である。ただ、資料を正確に読み取るだけではなく、事実かどうかを疑い、踏み込んで検証する批判的視点も重要である。歴史学の基本的なラインナップには、日本史、東洋史、西洋史、考古学がある。また、政治制度・経済活動・芸術文化・信仰宗教などに特化した考察も行う。

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