鯉のぼりをあげてはいけない里がある? 地域に残る風習の謎

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鯉のぼりをあげてはいけない里がある? 地域に残る風習の謎

2016.07.28

提供元:マイナビ進学編集部

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鯉のぼりをあげてはいけない里がある? 地域に残る風習の謎

栃木県内には平家落人の里とされる地域があります。ある地域では戦に敗れて逃れた一行が、男児の誕生を祝い鯉のぼりを上げたところ、追っ手に見つかり無惨な目にあったのです。その一行が逃れていった先では、鯉のぼりをあげないことのほか、今も伝わる独特の風習があるんです。

この記事をまとめると

  • 栄華を誇った平家は壇ノ浦の戦いに敗れて各地に逃れた
  • 一行をさらに追いつめた男児誕生祝いの鯉のぼり
  • 苗字や地名、日常習慣、食文化…身の回りの「当たり前」に注目

驕る平家は久しからず

鯉のぼりをあげてはならない里。その起源を語るには貴族の時代から武士の時代へと変わる歴史の変換点の前後に遡り、その変遷を見ていく必要があります。

ときは平安時代(794年~1185年/1192年頃)。当時、日本の政治において中心的な役割を担っていたのは貴族でした。京都を都として、ご存じ平家が約390年もの長きにわたり、その隆盛を誇りました。しかし「驕る平家は久しからず」とはよく言ったものです。贅沢を極め、優雅な生活を謳歌する貴族政治も永遠には続きませんでした。その陰で、徐々に武士の力が台頭してきていたのです。

大きなターニングポイントとなったのが、1185年の源平合戦(壇ノ浦の戦い)です。この戦に平家は完敗。平家一族は滅亡し、政治の舞台からは姿を消すこととなりました。戦に生き延びた平家の人々は各地へと散らばっていきます。この人々がいわゆる「平家落人」です。

平重盛の息子は湯西川に逃れた?

栃木県にはいくつか「平家一門が落ちのびてきた」とされる場所、「平家落人の里」があります。
その一つが日光市栗山郷。大自然に囲まれた山奥にある有名な温泉郷・湯西川温泉を含む地域です。
湯西川には平家末裔といわれる宿が数軒あります。たとえばある温泉宿を営む一家は姓を「伴」と名乗りますが、これは「平」の変形に、にんべんを使った「平の人」の意味を持つそうです。

その祖先にあたるのが、壇ノ浦の戦いに敗れ縁者を頼って関東へと逃れて現在の日光国立公園内にある鶏頂山に隠れ生活をしていた落人たちだと伝わっています。一説には、平重盛の六男「平忠房(忠実)」の一行とか。

この一行が隠遁生活を送っているなか、あるとき一人の婦人が男児を出産しました。この時代、跡取りとなる男児の誕生はたいへん喜ばしいことです。折しも端午の節句に当たる季節。隠遁生活ではあっても、ささやかながらお祝いをしようと、余り布をつぎ合わせてぼりを仕立てて掲げました。ところが、これを追っ手が見つけ、一行は惨い目にあうことになってしまったのです。生き残った人たちはさらに奥地へと逃れ、栗山郷にたどり着きました。

以来、栗山では端午の節句であっても、決して鯉のぼりをあげなくなったそうです。また、この地では人が生活していることを悟られぬよう、鳴き声をあげる犬や鶏は飼わない、煙が上がるため焚き火をしない、米のとぎ汁を川に流さないという風習も続いています。

身の回りの風習に注目してみよう

現在、日本のいくつかの土地に「平家の落人伝説」が伝わっています。壇ノ浦の合戦で痛手を負った平家方の一族は栃木に限らず各地に逃れていったのですが、伝説とされているのは北は岩手県から南はなんと海を渡った九州まで。

九州で落人伝説が伝わるのは大分県玖珠郡九重町の松木地区。この地域にはその名も「平家山」があります。平家の再興を願い持参した財宝を隠したともいわれ、付近には「平家山」「宝山」「大祖山」などの山もあります。

東北では岩手。平清盛の孫と伝えられる武士が海へ逃れて現在の大船渡市に漂着したと言われています。大船渡の山奥には「平山」という集落もあるとか。落人たちは、ここで農民に身を転じ、ひっそりと暮らすようになったそうです。いまでもこの地域の農家のなかには、平家ゆかりの人々がいるのかもしれません。

平家落人伝説に限らず、あなたのまわりに当たり前に多くある苗字や風習。注目してそのルーツを辿ると意外な歴史にいきつくかもしれません。1年のうちある特定の1日だけ行われる変わった儀式や風習、カッパ伝説、独特のスタイルをとる婚儀、お正月の祝い方など。身近な事柄のひとつに「なぜ、いつから」という疑問を持って目を向けると、歴史や社会学の学びにむすびつく、面白い発見があるかもしれませんね。

この記事のテーマ
文学・歴史・地理」を解説

文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。

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この記事で取り上げた
「歴史学」
はこんな学問です

歴史学とは、対象とする大陸・国・地域などにおいて、過去に起こった物事を取り上げ、当時それがどのような意味を持っていたのかを、残された物や建造物、文章などから研究する学問である。ただ、資料を正確に読み取るだけではなく、事実かどうかを疑い、踏み込んで検証する批判的視点も重要である。歴史学の基本的なラインナップには、日本史、東洋史、西洋史、考古学がある。また、政治制度・経済活動・芸術文化・信仰宗教などに特化した考察も行う。

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