宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は農業から生まれた!?

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宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は農業から生まれた!?

2015.08.05

提供元:マイナビ進学編集部

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」は農業から生まれた!?

みんなが知っている宮沢賢治は実は農学に精通し、地元では農学の教鞭を取りながら文学を書いたり、地元の青年たちに稲咲法などを教えていたという意外な事実の話。

この記事をまとめると

  • 宮沢賢治の生前は全く評価されなかった
  • 宮沢賢治はそれでも農学に熱心に取り組んでいた
  • 逆境でも必死に生きたから多くの人に愛された

死んでから評価を受けた宮沢賢治

ビジネスの世界では「成果主義」を取り入れる事例も増えて、ものごとの「過程」よりも「結果」を大事にする風潮が大きくなってきている。そうした考えも年々激しくなる国際競争に勝つためやビジネスの成長に大切な要素の一つだが、結果だけを追い求めすぎることで、日本の社会構造に大きな変化が起こり、その変化のいくつかが日本の大きな問題になっている。そうした問題や風潮に不安や問題意識を持つ人も少なくないだろう。
そこで紹介したいのが、生前は「結果」を追い求めて、残せなかったものの、その生き方といった「過程」が認められて、周りの人々に深く愛された宮沢賢治である。彼の名は有名だが、実のところ生前全く評価されず、死後に評価を受けた存在であることをご存じだろうか。彼の生き方そのものは「ナンバーワンになれなくてもオンリーワン」であった人なのだ。

宮沢賢治も「結果」を追い求めていた

賢治は岩手県花巻生まれで父は質屋を営み、地元では裕福な家に育った。子どもの頃から植物や昆虫の標本作りが好きだった。最も熱中したのは鉱物採集で、周囲から「石っ子賢さん」と呼ばれていた。現岩手大学農学部に主席で入学。この頃、東北では度重なる飢饉で農民は貧困に喘いでいた。そして質入れにくる貧農たちにわずかなお金を渡し不自由なく暮らす、そんな家業に賢治は反発するようになった。
家業ではなく自分にあった仕事がしたかった賢治は、童話作家を目指して家出同然に上京する。そして、雑誌『愛国婦人』に童話『雪渡り』を発表し原稿料5円を得た。これは彼が生前に受け取った唯一の原稿料となった。
『注文の多い料理店』『どんぐりと山猫』『鹿踊りのはじまり』『かしまばやしの夜』『よだかの星』など、今も読み継がれる名作童話の多くがこの頃に書きあげられる。半年後、妹トシの病気の報を受けて帰郷し、花巻農学校の教諭に就任する。農学校で生徒たちに立派な農民になれとハッパをかける一方、自分自身は農業の辛さを体験していないことに矛盾を感じ、教職を辞め花巻郊外で荒地を開墾するなど農耕生活に入る。そして近隣の農家の青年たちと地人協会を設立し、稲作法や土壌学、植物学などの講義を行った。肥料用の石灰を取り扱う東北砕石工場の社長が、豊富な地質学の知識を持つ賢治を仕事に誘う。岩手は作物が育ちにくい酸性の火山灰地が広がっており、アルカリ性の肥料用石灰で土を改良すれば、より多くの収穫が期待できた。賢治はこの仕事に生き甲斐を感じ猛烈に働いた。賢治は外回りをする傍ら、県庁で農業関係者の情報を集め、石灰の長所を説明したダイレクトメールを、1日170通、1か月で5000通も送った(賢治が考えたキャッチコピー「御存知ですか 新肥料・炭酸石灰~他の及ばぬ甚大なる効力」)。県から肥料博覧会で賞状をもらうことにも成功する。これらの努力が功を奏し、工場の1日の生産量は10トンから25トンにまで急増した。

自分の思う結果が得られるとは限らない

石灰の売れ行きが頭打ちになると、賢治は建築用の壁材料を考案。賢治は工場の人々の期待を一身に背負い、売り込みの為に40kgのサンプルを持って上京した。ところが、過労がたたって再び発熱し、死期が近づいていることを感じた彼は、苦しさの中で両親に遺書を書く。

「とうとう一生何ひとつお役に立たず、ご心配ばかり掛けてしまいました。どうか、この我儘(わがまま)者をお赦(ゆる)し下さい」(9月21日)。

なんとか帰郷したものの、病臥生活が続く。賢治にはやりたいことが山ほどあった。農民を助けたい、会社を救いたい、童話を書きたい、体さえ丈夫であれば、もっと皆のために役に立てる…」…!この思いから、布団の中で手帳に『雨ニモマケズ』を書き留めた。冒頭で、雨風や寒さ、暑さにも負けない「丈夫な体を持ち」と願ったのはこのためだ(手帳は賢治の死後、仕事のトランクから発見された)。

賢二は生前評価をされず、家族や村の人のために農地を開拓し、若者たちに農業の楽しさを教えた。
家族や村人、会社など他人を思いやって、それを行動に移していた賢二の生き様からは、他人を思いやることの大切さを学ぶことができる。賢二は評価されず辛い思いをしただろうが、苦しい状況でもくじけず「結果」を追い求めたことが多くの人に愛された理由の一つではないだろうか。
これからの人生ではさまざまな場面で、評価をされたり、されなかったり。自分の思う結果が得られるとは限らない。悔しい思いをすることもあるだろう。周りの人から「評価」されたいと思う気持ちも自分の成長には大切なことなのは言うまでもない。その一方で、周りの人にどれだけ愛されるかという「価値観」を知ることも大切なのではないだろうか。宮沢賢治の生き方からはそういった価値観を学ぶことができる。こうした人物を数多く知っていくことは、挫折や悔しい状況に直面した時、自分を見つめ直せる学問といえるのではないだろうか。

この記事のテーマ
文学・歴史・地理」を解説

文学は、長い歴史のなかで変遷してきた人間の生活や社会、人々の考え方や感情の変化などを、文章表現をもとに考える学問です。文献を読み解いて比較検討し、過去から現在、さらには未来に至る人間のあり方や社会について研究します。地理学や歴史学は、今日の私たちの生活や文化、経済活動などについて、基盤となった地形や気候、史実やさまざまな事象、最新の研究結果や歴史的な遺構をもとに、その成り立ちから考える分野です。

「文学・歴史・地理」について詳しく見る

この記事で取り上げた
「日本文学」
はこんな学問です

古事記や万葉集などの上代文学にはじまって、中古、中世、近世、近現代に至る日本の詩歌、日記、物語、戯曲、小説など、あらゆるジャンルの文学的な表現を研究の対象とする学問である。また、それぞれの文学作品が生み出される背景となった作家の個性、同時代的な価値観、さらには、その時代の流行などの文化的な特徴、その作品が社会に与えたインパクトなどについても多面的に考察する。

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