『天才バカボン』のドラマ化も話題! 『おそ松さん』の原作者は、もともと少女漫画家だった!?

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『天才バカボン』のドラマ化も話題! 『おそ松さん』の原作者は、もともと少女漫画家だった!?

2016.04.06

提供元:マイナビ進学編集部

『天才バカボン』のドラマ化も話題! 『おそ松さん』の原作者は、もともと少女漫画家だった!?

今、絶大な人気を誇る『おそ松さん』や、実写ドラマ化された『天才バカボン』など、みなさんの中でも好きな人が多いのではないでしょうか。実はこれらの原作者は、もともとは少女漫画を描いていたのだとか。作者はどんな人だったのでしょうか?

この記事をまとめると

  • 赤塚不二夫のデビュー作、実は少女漫画だった!?
  • 『ひみつのアッコちゃん』をきっかけに人気漫画家へ、ギャグ漫画もヒット
  • 漫画界のみならず日本のカルチャーにとって偉大な存在

大人気『おそ松くん』の生みの親・赤塚不二夫のルーツは少女漫画だった!?

漫画の『おそ松くん』を約27年ぶりにテレビアニメ化、主役の六つ子が成長して大人になった姿を描いた『おそ松さん』が大人気です。『おそ松くん』を知っている世代はもちろん、若い漫画ファンやアニメファンからも支持を受けており、テレビ雑誌の表紙になったりサブカル雑誌で特集が組まれたりと、ちょっとした話題になっています。

その人気ぶりはアニメや漫画を飛び出して、野球の日本代表「侍ジャパン」ともコラボレーション。登場キャラクターの六つ子やイヤミ、チビ太、ハタ坊が侍ジャパンのユニフォームに身を包んだ姿が描かれたグッズが販売され、試合会場では「おそ松さんシート」と名付けられた観戦席が販売されて完売。京セラドーム大阪で行われた強化試合の始球式には、人気キャラクターの「イヤミ」が持ちギャグの「シェー」にちなみ「始シェー式」を行い、得意の「シェー」を披露して喝采を浴びました。

『おそ松さん』の原作者は、有名な漫画家の赤塚不二夫です。最近では代表作の国民的ギャグ漫画『天才バカボン』が2015年の紅白歌合戦の企画コーナー「アニメ紅白」で登場、2016年3月には実写ドラマ化され、バカボンのパパにくりぃむしちゅーの上田晋也さんが、ママに松下奈緒さんが、そしてバカボンには女性芸人のコンビ・おかずクラブのオカリナさんが起用されたこともお茶の間の話題となりました。

そんな『おそ松くん』、『天才バカボン』をはじめとするバカバカしさ全開のギャグ漫画のイメージがある赤塚不二夫ですが、実はデビュー当時は少女漫画を描いていたんです。

デビュー作『嵐をこえて』は女の子の成長ストーリーだった!?

1935年に生まれた赤塚は、中学を卒業すると新潟県の看板屋に就職して働くかたわら、漫画雑誌に投稿を始め、上京して漫画家修行を始めました。その後、漫画が石ノ森章太郎の目にとまり、手塚治虫や藤子不二雄などの有名漫画家たちが集っていたことで知られている伝説のアパート「トキワ荘」に移り住み、石森のアシスタントを務めました。

赤塚自身は貸本漫画で自身の作品を発表しましたが、そのデビュー作は意外なことに『嵐をこえて』という少女漫画でした。内容は仲良しの姉妹が嵐のように襲ってくる人生の困難を明るく乗り越えて成長していくストーリーで、『おそ松くん』のようなギャグ漫画とはまったく毛色が違う作品でした。当時は絵柄も手塚治虫の影響を強く受けていることがよく分かります。

もともとギャグ漫画を勉強していた赤塚が、どうして少女漫画でデビューしたのかというと、たくさん漫画誌がある現在と違って当時は少年誌が限られていたため、若い漫画家の作品を掲載する場所が限られていたからです。そのため、多くの若手漫画家は描き手が足りていなかった少女漫画を描いていたのです。

その後も赤塚は『りぼん』や『少女クラブ』『ひとみ』『週刊マーガレット』などの少女漫画誌で、『サッちゃん』『まつげちゃん』といった少女漫画を描いて連載を獲得。徐々に自身の絵柄と作風を確立させていきました。そして誕生したのが、『ひみつのアッコちゃん』です。

1962年に『りぼん』で連載が始まった『ひみつのアッコちゃん』のヒットにより、赤塚は一躍人気漫画家になりました。ギャグ漫画のイメージがあるだけに、どうしても『ひみつのアッコちゃん』が異色の赤塚作品に感じられますが、実は『ひみつのアッコちゃん』こそが赤塚を人気作家にした作品だったのですね。

そして、同じ年に『おそ松くん』も連載を開始、数年後には『週刊少年マガジン』で『天才バカボン』の連載が始まり、「これでいいのだ!」「賛成の反対なのだ!」などの名セリフとともにギャグ漫画家として確固たる地位を築き上げたのです。

漫画界のみならず日本のカルチャーにとって偉大な存在だった赤塚不二夫

また、赤塚は漫画界だけでなく、多くの芸能人との交流でも知られていました。特にタモリとの交流は有名です。タモリが芸能界にデビューしたきっかけは赤塚がタモリの即興芸を気に入り、素人のタモリを福岡から上京させて自分の家に居候させたことでした。

その関係は晩年まで続いており、赤塚が2008年に亡くなったときに営まれた葬儀・告別式での弔辞、「私もあなたの数多くの作品の一つです」というタモリの言葉はあまりにも有名です。『天才バカボン』の実写ドラマ化に際しては、タモリが主題歌を歌っており、ここでも絆の深さを感じさせています。

漫画界のみならず、日本のカルチャーにとって偉大な存在だった赤塚不二夫。数々のヒット作や流行語は、今もなお、多くの人を楽しませてくれています。「漫画家」を目指している人は、『おそ松くん』や『天才バカボン』をはじめとする赤塚作品がどうして時代を超えて老若男女に愛されているのか、ぜひ原作の漫画も読んでみてください。漫画家を仕事にする上で大切なことを知ることができるかもしれませんよ。

この記事のテーマ
マスコミ・芸能・アニメ・声優・漫画」を解説

若い感性やアイデアが常に求められる世界です。番組や作品の企画や脚本づくり、照明や音響などの技術スタッフ、宣伝企画など、職種に応じた専門知識や技術を学び、実習を通して企画力や表現力を磨きます。声優やタレントは在学しながらオーディションを受けるなど、仕事のチャンスを得る努力が必要。学校にはその情報が集められています。

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この記事で取り上げた
「漫画家」
はこんな仕事です

漫画を制作して収入を得る作家のこと。コメディー、恋愛、スポーツなどさまざまな分野が存在する。ひとコマ、4コマ、連載、長編作品まで日本の漫画文化は国際的に高い評価を得ている。物語や登場キャラクターの設定を考えてシナリオをつくり、次にせりふや場面のコマ割りを行って、最後に“ペン入れ”をするのが仕事の基本的な流れ。作品はコミック誌や新聞、雑誌に掲載されたり、同人誌をつくって発表・販売を行ったりする場合が多い。人気が出れば単行本化、映画化と活躍の場が広がる。

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